日航機墜落から30年。失った恋人を想い独身を貫いてきた元力士の話に感動。

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御巣鷹の尾根に登った角田さんは、

墜落地点にある「昇魂之碑」に手を合わせた(角田さん提供)

520人が亡くなった1985年の日航ジャンボ機墜落事故は、

8月12日で発生から30年となった。

事故で交際中の女性(当時20歳)を亡くした

大相撲の元幕下力士・琴旭基(ことあさき)の

角田博且(ひろかつ)さん(50)は、

恋人のことが忘れられず、今まで独身を貫いてきた。

だが節目の今夏、新たな人生のスタートを切ることを決意。

「彼女に報告したい」と、病のため、

ずっと足が遠のいていた墜落現場の

「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)に向かった。

「やっとたどり着いた。もう少しだ」。

登山口に立った角田さんは、御巣鷹の山を見上げ、

不自由な右足を引きずるように、一歩、踏み出した。

佐渡ケ嶽部屋に入門して3年目の角田さんが、

大阪後援会会長の一人娘のMさんと出会ったのは、

1984年の3月場所前。一目ぼれだった。

4月、Mさんの誕生日に

彼女から電話がかかってきた。

二十歳の2人は、すぐに意気投合した。

角田さんの「初恋」だった。

携帯電話のない時代。兄弟子に悟られぬよう、

部屋の電話で、こっそり、毎日のように話した。

彼女の励ましが、いつも土俵で背中を押してくれた。

だが突然、恋は終わった。85年8月12日昼すぎ、

角田さんは海外から帰国したMさんと都内で食事した。

「じゃあね」「着いたら電話するね」と、

帰阪する彼女と別れた。

午後7時ごろ、部屋で彼女の土産のセカンドバッグを手にしていた

角田さんの耳に、テレビから墜落事故の一報が飛び込んできた。

同僚力士に「Mさんの家族が乗っている」と知らされた。

直後、画面に映った彼女の名前。

目を疑った。

彼女の実家に何度電話しても通じない。

眠れなかった。

翌13日、救出される女性の様子が報道された。

「彼女であってくれ」。

稽古に身が入らず、無事だけを祈った。

事故から2日後、彼女の写真を持って現場に駆け付けたが、発見できず。

24日に20代女性の遺体が見つかり、確認へ。

遺体とともにあった濃紺の洋服とベルトのバックルは、

最後に見た彼女が身に着けていたものだった。

「本当に死んでしまった・・・」

彼女の部屋にはスクラップブックが残されていた。

事故直前の85年7月場所まで、

角田さんの相撲の勝敗が掲載された新聞の切り抜きが貼ってあった。

添えられた初々しく、温かい言葉に涙があふれた。

悲嘆の日々。

土俵で負け越しが続いた。結局、夢の関取にはなれなかった。

1998年の力士引退後、大阪でちゃんこ店を開店。

神戸にMさんのお墓があり、関西から離れたくなかった。

胸に残る「20歳の恋」。

どうしても、他の女性と交際することはできなかった。

2003年、脳出血に襲われた角田さんは、

右手足と言語機能に障害が残った。

それまで毎年、恒例だった慰霊登山はできなくなったが、

ひとつの出会いがあった。

12年に墜落事故について思いをつづった本を自費出版した際、

献身的に手伝ってくれた女性(61)がいた。

今も、女性は体が不自由な角田さんの身の回りの世話をしてくれる。

「彼女がいない生活は想像できない」。

角田さんは、2人で新たな人生を始めることを決意した。

年内に婚姻届を出すつもりだ。

 あの日から30年。

角田さんは今月、御巣鷹の尾根に向かった。

急坂で力が入らない右足をかばうように左足で踏ん張り、

手すりをつたいながら必死に登った。

約2時間半かけ、墓標に到着。花を供え、手を合わせた。

そして、ずっと心の中で生きているMさんに誓った。

「ようやく新たなスタートを切れそうだ。

君の分まで一生懸命生きるよ」。
 
出典元:YAHOO!ニュース
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あの事故で、事故にあった方の命だけでなく

その周りの大事な人の人生も失われている。

角田さんだけでなく、多くの方が同じような

悲しみをかかえて生きているのだろう。

二度とこのような悲劇は繰り返してはいけない。

みなさまはどう感じましたか?

考えさせられる記事ですね。
 

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