中日の「山本昌」史上初の50歳登板で引退。~元女房が語る激動の32年間~

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今季限りでの現役引退を表明した中日の山本昌投手が、

今季最終戦に50歳1か月26日で先発。

プロ野球史上初めて50代で登板と出場を果たした

レジェンド左腕は、32年間のプロ野球生活に終止符を打った。

※山本昌(本名は山本昌広)。
1965年8月11日、神奈川県生まれ。50歳。
神奈川・日大藤沢高から83年ドラフト5位で中日に入団。
これまでに最多勝を3度、ベストナインを2度、
最優秀防御率と最多奪三振を1度ずつ受賞。
94年には沢村賞に輝いた。2006年には史上最年長でノーヒットノーラン、
08年には通算200勝を達成。

ひっそりと宙に舞ったのも山本昌らしかった。

CS進出を逃した鯉党の心情に配慮し、

胴上げは試合後のブルペンで非公開で行われた。

背番号34の数字を足して計7回。

サプライズで名古屋から駆けつけた

1軍登録を外れている選手も輪に加わっていた。

「重い、重いと言われました」と笑ってから、

「あしたから練習しなくていいんだ。寂しいね」

とつぶやいた。

そんな山本昌投手の秘話を、かつて中日の主戦捕手として、

もっとも数多くボールを受け、辛苦をともにした

中村武志氏が明かした。
 
 
 
それでは~THINK TIME~です。
 
 
 

中村氏は1984年のドラフト1位で中日に入団。

87年に監督に就任した星野仙一氏に見いだされ、正捕手となった。

その後、2001年にトレードで横浜に移籍するまで、

竜の主戦捕手としてマスクをかぶり続けた。

83年のドラフト5位で中日に入団し、

88年のドジャース野球留学がきっかけでブレークした山本昌と、

同じ時期に頭角を現し、プロ野球選手として同じユニホームを着て、

ともに一線級に成長した。

そんな誰よりも多くバッテリーを組んできた“戦友”の中村氏には、

山本昌を語る上で欠かせないエピソードがあるという。

それは中村氏が入団してまもないころのことだ。

「砂袋にひもをつけ、それを棒に巻きつけて、

その棒を両手で持ってクルクルと回しながら

巻いていくトレーニングがあるんだよ。

古くさいトレーニングでね。

中学生ぐらいのときは俺もやったけど、

当時、プロじゃ誰もやらない。

ところが、山本さんはそれを毎日やっていたんだよ。

周りから

『あんなことやっても意味ない』

『やってもやんなくても一緒』とか、

批判のようなことを言われても気にしないでね。

自分が『これだ!』と信用したことはコツコツとやり続けるところがあったね。

もしかしたら、今でも家でやっているんじゃないかな」

山本昌の転機は88年のドジャースへの野球留学。

そこでスクリューボールを習得してマイナーリーグで活躍すると、

その実力が評価され、急きょ日本に呼び戻された。

その時の再会について中村氏は「化け物みたいに変わっていた」

と笑いながら振り返る。

鋭く曲がるスクリューはもちろんのことだが、

細かった体がびっくりするぐらいデカくなって帰ってきた。

若いころの2人は当時、監督だった星野氏に

「とにかくよく殴られた」という。

中村氏はかつて名古屋市西区堀越にあった屋内練習場で

端から端まで殴られ続けた“伝説”を持つ。

山本昌も1失点で完投勝利したが、

下位打者に本塁打を打たれたことで

「あんなヤツに打たれやがって!」と試合後に

鉄拳を食らわされたとの逸話がある。

「殴られるヤツは決まっていてね。2人はその役目だった。

期待の表れとは分かっていた。それでもやっぱり反発心はあったよ。

2人とも負けてたまるか、ベンチを見返してやろうって思ってた。

それで結果もついてきたところはあったね。

今は殴られたことも笑って話せる。

星野さんがいなかったら2人とも(野球選手としては)死んでいた。

命の恩人だからね」

長く一線で活躍してきた山本昌だが、必ずしも順風満帆なときばかりじゃなかった。

「最初はスクリューだけで抑えられた。でも、だんだんと相手も慣れてくる。

研究もされるからね。なかなか勝てなくなる。

そこでカーブの精度を上げようと考えた。

制球力をもっとつけようとね。

そこから練習では明けても暮れてもカーブばかり。

暇があれば腕を振ってイメージをつかむようにしていた。

しかも、ユニホームを着ているときだけじゃないんだよ。

新幹線で移動のときに駅のホームでもスーツ姿で腕を振っていたときには驚いた。

責任感を感じたね」

長く現役を続けてこれたのは、引きずるタイプじゃないことも良かったのだとも言う。

「切り替えがうまい人だった。

試合に勝ったら趣味のラジコンを思い切り気にせず一日中やる、

負けたら一切やらないとか、自分にご褒美をもうけたりしてね。

メリハリをつけていたね。そんな人だから試合後にクドクド言うようなこともなかった」

愚直に歩み続けたプロ32年間。その積み重ねで山本昌は“レジェンド左腕”になった。

出典元:Yahoo!ニュース  
 
 

最後のマウンド。

打者1人限定の先発。

通算1万3862人目の打者に対して初球はワンバウンド。

2球目も低めに外れてカウント2ボール。

3球目も高めに抜けたが二ゴロに打ち取った。

3球とも伝家の宝刀・スクリューボールだったが、

最後にふさわしいと選んだ球種ではない。

「真っすぐを投げたかったけど、人さし指にかからないから」。

1軍初登板だった8月9日のヤクルト戦(神宮)で投球中に痛め、

引退の引き金となった故障は、最後まで癒えることはなかったが

「もう壊れてもいいんだ」と腕を振った。

50歳1か月26日。

ジェイミー・モイヤーのメジャー最年長勝利記録は超えられなかったが、

プロ野球初の50代での出場という大記録を達成した。

「人ごとなんですよね。夢中で突っ走った結果かな」。

マウンドを降りると涙が頬を伝い、

美智子夫人(34)から花束を贈られると号泣に変わった。

敵地のバックスクリーンには入団からをまとめた映像が流れた。

球団最多219勝。

世間のおじさん世代に夢と希望を与えた「中年の星」は

「中日ファンのみならず、全国の野球ファンにかわいがられた」

と胸を張った。

老いた肉体にムチを打ち続けた32年間に、ついに幕が下りた。
 
 
 
彼を追い続けた野球好きは多いと思う。

なぜここまで彼が野球を続けることができたのか。

そんな中村氏の語る彼の姿は

野球だけでなく人生の生き方にも精通するかもしれない。

みなさまはどう感じましたか?

考えさせられる記事ですね。

山本昌選手、本当にお疲れ様でした。  

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